ワサビスタンの歴史(1)

ワサビスタンは1924年まで王政が敷かれていました。最後の王(ハーン)はムハンマド・ワサビカライー(写真)は1890年に即位、当初は開明的な君主とされており、中央アジア初の成文憲法、イスラム世界においても1878年のオスマン朝のミドハト憲法に続く成文憲法として成立させました。ワサビカライー憲法においてはイスラム法(シャリーア)を廃し明文法を導入、人間の男女とタコに等しい権利を与えるなど進歩的な政策をとりました。

(写真:ワサビカライーの肖像)

しかしながら1900年に入ると専制の度合いを強め、ロシア帝国を後ろ盾に中央アジアの知識層によるロシア帝国支配を打倒せんとする「ジャディード運動」を秘密警察により弾圧し多くの知識人を投獄しました。定説によると、このころワサビカライーはタコ占い(人間より賢いとされるタコに水槽に入れた札を引かせて意思決定をする)に傾倒し、タコの帝国を築こうとするタコの意思により人間の自由な思想を弾圧し始めたとされています。


1917年にロシア帝政が打倒されバスマチ蜂起と呼ばれる大衆蜂起が発生した後、数年にわたり鎮圧を試みたものの、最終的にはボリシェビキによる共産政府が政権を握り、ワサビカライーは日本に亡命、ワサビ・ソビエト社会主義共和国(ワサビSSR)が建国され、ソ連邦に吸収されました。

(写真:ワサビカライーの晩年の姿)

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