ワサービングラードのなりたち

首都ワサービングラードは古くはシャフリヤ・ワサビー(Shahriya Wasabi)と呼ばれており、14世紀頃の文献でその存在が確認されています。中央アジアに覇を唱えたモンゴル帝国・ティムール朝どちらの影響を免れたシャフリヤ・ワサビーは中央アジアやシベリア諸民族の間の仲介貿易で栄えたと伝えられています。その歴史を色濃く残しているのが旧市街です。この旧市街は世界遺産にもノミネートされており、観光シーズンには多くの国内外旅行客でにぎわっています。 (旧市街のバザール付近の様子) 旧市街は王城を中心に発展しており、王城の門前はバザールとして大変栄えておりました。 (王城の門) 王城においては衛兵の人件費を節減するため、トゲミカンが衛兵のかわりに立っていました。このトゲミカンは立っているだけなのですが、立っているだけで王城に侵入する人間を抑止する役割を果たしており、人間の衛兵と比べコスパが良いとして代々、ワサビスタン王家より珍重されていました。 (衛兵のかわりのトゲミカン) (王城を遠く望む) 旧市街の入り口には「入口」と書かれたタワーがあり、「チョロイ関所(Секишоя Чорой)」と呼ばれています。ここは王政時代は関所の役割を果たしていましたが、フェンスも何も設置されておらず実質フリーパスであったことが名前の起源とされています。 (チョロイ関所跡)